今日母と話していて気づいたこと

娘7歳が、朝から晩までずっとNetflixか、テレビか、ゲームかタブレットをみている。子供の頃から機能不全家族で育ててしまったせいか、父親もゲーム好きテレビ好きで、ほっといたらずっと画面をみているからその背中を見て育ったからか。

 

何度言っても画面を見続けている娘は治らなくて、その姿を見ている私もイライラしてしまう。

 

離婚問題が勃発して以来、毎日のように母とラインビデオ通話をするのだが、

 

「子供がテレビやゲームばかりで会話もせずとにかく家にいるとずっと画面を見ている」

 

と愚痴ると、

 

「そんなこと子供の前で何言ってんの。母親なんだからちゃんとしなさい。子供の気持ちもあるでしょう、子供の気持ちにもなってみなさい。」

 

そうだこれだ。私の、生きづらさの元凶。

 

私の生きづらさ。こんな歳になっても、解決しきれない、母との関係にあることはずっとわかっていたけど、「愛されなかった」という漠然とした思いだった。「愛された経験」がないにもかかわらず、何か起きるごとに結局母しか頼る人がおらず、相手にしてしまう。母のことなど全く好きとも思わないのに、頼るという点は、半年くらい前に精神科で受けた自分の発達障害の結果のフィードバックにも

 

「現在は、夫婦関係での悩みが大きく、夫に対して嫌悪感と同時に修復したいという思いの間で葛藤している。その背景には、幼少期からの愛着形成の問題があり、母親への両価的な感情が影響していることがうかがわれる。”家族とはこうあるべき”という理想が大きいことも、ギャップに苦しむ要因かもしれない」

 

とあった。

 

私は、過去に、いじめで登校拒否をしたり、うつ状態になって自殺未遂をしたことがあったりなど、若い頃に不安定な時期が何度かあったが、その度に、医療関係者であり、こだわりの強い母に「街の心療内科なんか意味ないから」と大型の総合病院や、大学病院付属の精神科に連れて行かれたりしたものだ。そしてその都度「母親との関係」を取り沙汰されてきた。

 

私と母の愛着形成の問題とは、単に「愛されなかった」とか、「何もしてもらえなかった」という漠然としたものではなく、おそらく「自分の気持ちを受け止めてもらったことがない」「ありのままの私を受け入れてもらった経験がない」ということなのだ。自分の気持ちは蔑ろにされ、いつも他人の気持ちをまず考えろと言われた。そのせいで、自分の気持ちには一旦外において、相手の顔色や空気を読みすぎる私が出来上がった。いつも、期待ばかりを背負わされ、よくできた時にしか褒めてもらえず、むしろ出来て当たり前とされ、悪いことをしたときや、困って必要として母を求めても、拒否されるか正論的なことを言われて、私は正しくないと否定されてきた。

 

夫と全く同じだ。夫にも、どんなことを言っても、悩みを打ち明けても、いつも正論で返された。最初はそれが私には心地よかった。迷いがちな私を、「整えて」くれているような気さえしていた。でも、そうされ続けていくことで、気づかないうちに私は心をまた病んでしまった。例えそれが正しい論理ではなくても、「彼が正しくて私が悪いのだ」という洗脳のされ方は、完全に私の母と同じだ。母と同じような人を私は選び、夫との間に母と同じような愛を求めて、手に入れられずに今がある。

 

「家族とはこうあるべき」という理想の高さも、私の成長した機能不全な家族に起因している。そして今全く同じことを連鎖しているようで、子供には絶対にしたくないと思っていることを、嫌だと思いながら口にしてしまうことがある。

 

そんな自分が嫌でたまらないし、治して行きたい。そしてもう誰も私のことを傷つけないで欲しい。私を心から信用してくれて良いはずの距離にいる人たちが、私が間違っているとばかり言わないで欲しい。ただの甘えだと言わないで欲しい。

 

そして同じことを、どうにかして、私から娘に連鎖させないように回避したい。私は、娘の気持ちをそのまま受け止めてあげたい。うまくできない葛藤もあるけれど、少なくとも、間違えたと思った時は、謝って、訂正して、受け止める姿勢があることを伝えたい。